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2006年01月08日

ぐりとぐら

『ぐりとぐら』
なかがわりえこ著
おおむらゆりこ絵
福音館書店(1967)
   
参考サイト 福音館書店「ぐりぐら」のページ


野ねずみのぐりとぐらは森で大きな卵を見つけました。大きな卵からは、大きなカステラができました。
このあまりに有名な絵本は、最初『たまご』というタイトルで、福音館書店の雑誌「母の友」に、読み聞かせのための物語として掲載されたのだそうです。
ぐりとぐらが生まれたのは1963年です。昭和38年生まれですね。

飽食の時代とはほど遠かった昔、作者の中川季枝子さんは、子どもたちをびっくりさせたくて、この物語を書いたそうです。まず、大きいたまごでびっくりさせて、次はカステラでびっくりさせる・・・好奇心いっぱいの子どもたちをあっと言わせたかったという中川さんは、本当に子ども心がわかる人!
この絵本の思い出の中には、「おはなし」と一緒に「おいしさ」までミックスされています。

「ぐりぐら」を読んでもらって育った人が、また自分の子どもを「ぐりぐら」を読み聞かせて育ててる・・・そんなロングセラーの1冊です。

投稿者 moritomo : 23:36 | コメント (1) | トラックバック

2006年01月04日

『児童文学論』 -4-

子どもたちは、昔話であれ、すごい冒険談であれ、こっけい話であれ、気持を愉快にしたり暖かい感動をおこさせたりするあらゆる種類の文学を、手当たりしだいに読みながら、自分たちがそこに永続的な真実を求めていることを、意識的には知らないだろう。だが、子どもたちは、お話の底に、自分たちの頼れる真実がひそんでいることに、気づいている。人間の安心感は、物質的な要求をみたすことからだけくるのではない。それは、ひとりひとりの心の中に根をもっていなければならない。この根がないと、子どもが安定性をなくして、現代生活をとりまく混乱した価値判断にふりまわされてしまうとしても、ふしぎではない。すぐれた子どもの本は、それを楽しんで読む子どもたちに、非常時用の錨を荒い波風におろすような安定力を与える。この力は、けっして道義的概念ではないが、頼ることのできる力なのである。
L・H・スミス著『児童文学論』より

投稿者 トリフ : 14:44 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月03日

『児童文学論』 -3-

子ども時代は感受性の強い形成期で、非常に染まりやすく、そのうえ時期が短いから、おとな以上に凡作は不必要、かつ、それにかまける時間もない。子どものころの印象は、永続する。そしてこの印象が蓄積されて、成人した時にあらわれる人格の型(パターン)となる。
L・H・スミス著『児童文学論』より

投稿者 トリフ : 11:31 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月02日

『児童文学論』 -2-

真のねうちのある本、誠実で真実で夢(ビジョン)のある本、読んで子どもが成長できる本だけを、子どもに手渡すことになるだろう。なぜなら、成長することが、子どもの天性だからである。子どもは、じっとしてはいられない。子どもは心身の変化と活動なしではいられない。子どもの想像力をかきたてない読書、子どもの心を伸ばさない読書は、子どもたちの時間つぶしになるばかりでなく、子どもを永久につなぎとめることができない。
L・H・スミス著『児童文学論』より

投稿者 トリフ : 12:35 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月01日

『児童文学論』 -1-

この世のどんな強制をもってして、子どもが読みたくない本を、むりに読ませておくことはできない。自分たちの選択の自由を、子どもたちは、たいしたたくみさと頑強さで守りぬく。もちろん、子どもたちにしてみれば、どうして自分がこの本をはねつけて、あの本にしがみつくのかというわけを知らないだろう。子どもたちの判断力は、めったに分析的でないからである。しかし、それは、ある純粋なもの―楽しみに根ざしている。「楽しみのない」場合は、もし読んだとしても、いやいやのことなのである。
L・H・スミス著『児童文学論』より

投稿者 トリフ : 13:10 | コメント (0) | トラックバック